プロフィール


 年齢順バラバラ。

保育園入学か小学校入学かどっちだったかな?‥
恥ずかしがり屋さんみたいだったね。お母さんに甘えた感じだね。

この写真撮った時のことは鮮明に覚えてる。
14歳年上のお姉ちゃんが撮ってくれた。
坂を駆け足で登って、パチって写真撮ってくれたのを良く覚えてるよ。こんなに小さくても、髪の毛がバチバチして静電気で跳ねてるー、って言う気にしてたってことも覚えてるーぅ😆

このマットレスのことも覚えてるよーお☆
奥に見える白の引き出しの中には、郷ひろみの男の子女の子のレコードと、浅田美代子の赤い風船のレコードも入ってたよ。お姉ちゃんが買ったんだね。

上野動物園(多分‥)野毛山だったりして😓
姉が撮ってくれたみたい。なんとなーく、このマントっぽい上着も見たことあるような無いようなそれは遠い記憶で‥‥


渋っ

何だか貫禄を感じる‥😄
この大きなぬいぐるみは少し覚えてるよ。

この写真は母のお骨の前に飾ってます。
私の腕と足の形と母の腕の型がそっくり☆
 
このブランコに母と一緒に乗ってる写真が好きなのですが何処かに行ってしまいました。 
写ってる子は誰だろうか‥‥
近所にいたかなあ‥‥
この家に後から住んだあの子ぽい‥家、お父さんの借金で取られたんだって(^◇^;)まあお母さんが言うには、あの家は白アリ出るし困ってたから要らないわ、って言ってたから気にして無かったみたいだけどね💦母のお兄さんが私が産まれたお祝いにって🏠買ってくれたんだって。それをお父さんが借金こさえたから仕方ないね。ダメ駄目父さんだったけど人間味あったし面白い人だった。母と父が離婚したのは私が小3の時くらいでした。私には良くてもお母さんにはどーしようもない憎い父みたいでした。だけど、私が29歳の時(1999年)父が死んだと姉の旦那からの電話で知らされて、だけど母は父を恨んでいたからお葬式には行きませんでした。私には母の気持ちの方が大事でした。しかしそれから時が経ち、母が亡くなる少し前に母は言ってました。母が死んだのは2014年5月16日です。父が死んだと聞いた時は可愛そうだな、と思ったと母は言っていました。だからか、母の最後の私への伝言は「誰のことも恨むなよ」でした。人を恨んで生きることが自分に取ってどんなに時間を無駄にしたことかを実感したのだと思います。
 

2010年4月。
母が車椅子になってからも9年母と二人で暮らしてました。それ以前からも基本ずっと二人でした。姉達は歳が離れているので滅多に来ることはありませんでした。最後の3年は病院に連れてって貰ったりもしましたが、私が31歳から40歳になる年まで二人暮らしでした。お金に余裕がある訳では無かったので、大変苦労しました。
介護の大変さは良く分かるつもりです。

22歳くらいかな?厚木航空ショー
トムキャット前(多分)
多分が多いなあ‥

12歳の小6。隣は姉。
自分だけ切り取りました。
場所は野毛山動物園。
(これは多分では無く明確)
この時代の私は同級生から、お化けとか言われて暗ーいオーラを放っていたようです😓。
内弁慶だったので、学校では常に無表情を決め込んでいた時代の私です。
どの時代の写真をみても、写真を撮られる時は腕を真っ直ぐに垂らし直立不動かモデル立ちですね。写真は苦手でピース✌️サインとか絶対に出来ないタイプです。ムリムリみたいな💦だから余り自分の写真は少ないです。なので下の写真は数少ないので思い切って出しました。もうこの先には撮らないと思います。

49歳か50歳。
若いでそー( ˊ̱˂˃ˋ̱ )イヒヒ

クマコは大事。



和服が似合いそうと良く言われてました。



大正ロマン画竹久夢二の絵の人とタイプがそっくりだと思い、初めて見た時鳥肌が立ちました。




これは32歳くらいの写真を
加工したものです。


学校の成績はビリッケツで誰とも喋らずいつも一人でいるタイプでした。見た目は頭良さそうー、って言われるのですがテストは0点。

まあ、白紙だったので0点なのですが、いくら勉強しても6点しか取れないとなれば白紙になります😓😆。基本テストある時は休む😓中間、期末、ア•テストなんて受けなかったよ。物覚えの悪い子でしたが、嘘歴史だらけの教育(恐育)と知った今では良かったと思います。今思えば、覚える必要の無いことに関しては覚えること無いよ、ということだったのだと思っています。

一般的にいわれる常識人とは掛け離れた性質でしたので、社会的不適合者でお金を稼ぐ能力もありませんでした。母にも良く「お前見てると母さん恥ずかしいよ、お前みたいな人間何処を探したっていないよ、産まなきゃ良かった」などと良く言われていました。一般的な人なら親に産まなきゃ良かった、と言われたら傷つくのかも知れませんが、私は全くそうは感じませんでした。とにかく母が可愛くて仕方ない思いでいっぱいでした。

何でも飽き性な私は、バイトをしてもお給料日まで持たずに辞めてしまうので、人生の殆どがただ働きのようなものでした。私の時代は銀行振り込みでは無く手取りでした。なので日払いのガードマンなんかは良いバイトでしたね。1ヶ月週6日、朝5時起き良く続いた方です。基本一人でいられる仕事は続きました。毎朝母が朝食を用意してくれたことは忘れません。

母が特養ホームに入居したのをきっかけに結婚相手が見つかり生き延びて来られましたが、一人だったらとっくに餓死してたと思います。入籍したのは2010年12月25日でした。上にある母とお花見の写真の日から8ヶ月後、40歳の時です。あれ?誕生日の9月13日過ぎてるから41歳?😓1969年生まれです。。

旦那とは知り合って1ヶ月くらいで結婚しました。スピード婚ですね。恋愛は仕事と同じように長続きしませんでしたが、結婚となれば話は別です。特に二度目でしたので覚悟を決めました。

何だかんだありますが今は平和に暮らせています。普通に暮らせることの有難さを痛感しています。

これからは時代が今までと変わって行くので、私みたいに土の時代に逆らって誰にも支配されず、決してさせずに自由に生きて来た人達にも生きやすい世の中になって行くと思います。

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下の動画は、小学校の卒アルを読んだものも含まれています。見返してみると、このページに書いた文体と同じで53歳になっても成長してないってことが分かりますヽ(´o`;

考え方も同じで「正に三つ子の魂百までも」です。どんなに歳を取ってもみんな赤ちゃん👶なんですね👶☺️😆👶自分自身を赤ちゃんだと見て自分を大切に扱い、自分自身を可愛がることはとっても大切なことです。

また自分以外の人達もそんな自分と変わりないんだな、という目で見たらみんなが可愛く見えて来ますね。

みんな赤ちゃんだね☆



アメブロにプロフあります。

私がマリアでない証明をしてください。

https://ameblo.jp/mariakkosan/entry-12783103543.html?frm=theme



プロフその2

イナンナ?

https://ameblo.jp/mariakkosan/entry-12806360663.html?frm=theme





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